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浦和地方裁判所 平成3年(わ)66号 決定 1992年1月16日

主文

被告人の司法警察員に対する平成三年一月二一日付け供述調書(証拠等関係カード乙二号)の別紙弁護人不同意部分を、証拠として取り調べる。

その余の被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書一二通(証拠等関係カード乙三号ないし七号及び九号ないし一五号)の別紙弁護人不同意部分(ただし、乙五号及び一〇号は全部不同意)に関する検察官の証拠調べ請求をいずれも却下する。

理由

一  被告人の身柄拘束及び取調べの経緯の概要

関係各証拠によると、次の各事実は、極めて明らかなところである。

1  被告人は、平成三年一月二一日午後七時五〇分ころ、殺意をもって、A(当時二一歳)の腹部を文化包丁で突き刺したという殺人未遂の現行犯人として、埼玉県警察川口警察署(以下、「川口署」という。)の警察官に逮捕され(なお、間もなく右Aが死亡したため、被疑罪名は、殺人罪に切り換えられた。)、引き続き勾留の上(なお、留置・勾留場所は、当時川口署が仮庁舎で留置施設がなかったため、同署に比較的近い蕨署の留置場とされた。)、同年二月一日の勾留期間延長の裁判を経て、同月八日、浦和地方検察庁検察官により、公訴を提起された。

2  被告人は、当時、妊娠五か月の身であったが、逮捕当夜直ちに身柄を川口署に連行された上、同署二階刑事一課の取調室において取調べを受け、翌二二日以降も、土曜日と日曜日を除く連日、警察官及び検察官による取調べを受けた。

3  取調べ警察官は、一月二一日夜は同署司法警察員B(以下「B」という。)、翌二二日以降はC(以下「C」という。)であるが、一月三〇日、二月一日、七日、八日は、検察官による取調べにあてられ、二月四日は、警察官(午前)及び検察官(午後)の双方の取調べが行われた。

4  取調べ時間のうち、一月二一日の分については争いがあるが(この点は、のちに検討する。)、二一日以降のCの取調べは、最短で約九時間(ただし、午後から検察官の取調べが行われたため、午前中だけに止めた二月四日を除く。)、最長で約一一時間四五分に及んでおり、検察官の取調べも一月三〇日が約九時間、二月一日が約九時間一〇分、七日が約六時間五分、八日が約七時間五分に達し、警察官及び検察官の双方が取り調べた二月四日の取調べ時間は、合計約一一時間五五分である(もっとも、以上の取調べ時間は、原則として、留置人出入簿に基づく出房から入房までの時間により認定し、かつ、移動・昼食・待機に要した時間等を除外していないので、厳密には、これより若干――検察官による取調べの場合は、かなり――短いと考えられる。)。

5  以上の取調べの結果、員面一一通、検面五通(検察官請求証拠等関係カード乙一号ないし一五号及び取調請求のない二月七日付け検面一通)が作成されたが、他に、一月二一日付けの弁解録取書及び一月二四日付けの被告人作成名義の上申書(「上しんしょ」と題する書面)各一通が、作成されている(以下、これらの供述調書を、作成日付又は作成者で特定し、例えば、一月二一日付け供述調書を「1.21員面」又は「B調書」と、一月二二日付け供述調書を「1.22員面」と、C作成の一連の供述調書を「C調書」と、一月三〇日付け検察官に対する供述調書を「1.30検面」とそれぞれ略称する。)。

二  Bによる取調べの状況について

1  一月二一日夜の取調べ状況については、被告人とBら警察官の各供述が大きく対立しており、その真相の把握は容易でない。

2  まず、被告人は、取調べや弁解録取にあたり、黙秘権や弁護人選任権の告知もなく、作成された供述調書を読み聞かせてもらった記憶もないと供述し、Bは、右各手続は完全に履践した旨明言するところ、右Bの証言には、後記のとおり、立会人の同署婦人警察官D(以下「D」という。)の証言と抵触する点もあり、若干の問題はあるものの、取調べ状況自体に関するBの証言は、相当程度筋が通っており、同人が、取調べの基本となる権利告知や調書読み聞かせの手続を省略したとは、にわかに考え難いこと、被告人は、当夜夫を刺したことで心理的動揺が激しく、記憶の欠落もあり得ると認められ、現に、その二日後に行われた裁判官による勾留質問手続の際にも、黙秘権を告知された記憶を有していないこと等からすると、これらの点に関する被告人の供述は、B証言を動揺させるものではないと認められる。

3  取調べの際のBの言動については、被告人が、弁解録取の際に、明白には殺意を認めていなかったのに(この点は、Bが自認しているところでもある。)、供述調書の内容は、殺意を認める趣旨のものになっていることなどからみて、被告人に対し、同人が理詰めの追及をしたことは容易に察しがつくが、被告人自身も、当夜Bから、特に明らかに不当な言動による追及を受けたという記憶を有していないので、右供述調書作成にあたり、自白の任意性に影響を及ぼすような不当な言辞を発したことはないとするB証言の信用性は、これを否定し難い。

4  取調べ時間については問題がある。B、Dの両名は、「午後八時二〇分ころから弁解録取をしたのち、九時ころから取調べを開始し、終了は午後一〇時五〇分ころであった。そのあと、被告人が妊娠中で留置に耐えられるか心配であったので、佐藤産婦人科病院(以下、「佐藤病院」という。)へ連れて行って診断を受けさせ、異常がないということであったので、蕨署に留置した。」というものであり、当夜の当直長加藤久夫(以下、「加藤」という。)の証言も、大筋において右証言に副うものである。

5  これに対し、被告人は、「取調べは、午後八時ころから、翌二二日午前一時ころまで、途中、休憩なしに続けて行われた。当夜は、病院へ連れて行ってもらったり、医師の診察を受けさせられたことは全くなく、川口署での取調べ終了後直接蕨署に身柄を押送されたものである。」旨明言する。そして、取調べ開始の時刻についてはともかく、その終了時刻、特に、当夜被告人が病院で診察を受けさせられたか否かというような点について、両供述がこのように対立するということは、まことに奇妙なことといわなければならない。

6  右の点に関する前記B、D、加藤の各証言は、当夜被告人を現に診察したと明言する佐藤病院院長佐藤泰三(以下、「佐藤院長」という。)の証言のほか、同人作成の診療録や、同医院の会計帳簿等の各記載等によって客観的に裏付けられているように思われ、この点について疑念を差し挟む余地は全くないようにも考えられるのであるが、他方、右Bらの証言は、①川口署が佐藤病院へ診察の申込みをした時刻(Bは、午後一〇時五〇分ころ取調べを終了した時点で、病院と連絡がついていたとし、加藤は、一〇時ころ病院の承諾をもらったとするが、佐藤院長は、八時か九時ころ川口署から連絡があったが、三、四時間も待たされた旨右各証言と明らかにくいちがう証言をし、現実に被告人を同病院へ連れて行ったというDに至っては、取調べ終了時にはどこにも連絡はついておらず、一一時すぎから、被告人にカップラーメンを食べさせながら診察を受けるように勧めたところ、被告人が、佐藤病院なら行くと自分で言いだしたので、それから手続きをした旨、右三証言とは、根本的に矛盾する証言をしている。)、②同病院へ連れていくようになったいきさつ(BとDの各証言の間に、右のような対立がある。)、③病院での診療内容(佐藤院長は、被告人の健康状態からみて、臨床検査室にある超音波診断装置で胎児をみる必要までは全くないと認めたので、右装置で診断したことはなく、問診、身体の計測のほかは、特に別室に移動することもなく、診察室内で胎児の心音を聴いただけである旨明言するのに対し、Dは、当夜、写真は撮らなかったが、臨床検査室に被告人が入り、同室内にある超音波診断装置で診断した旨一貫して証言する。)、④当夜被告人を診察した医師と、起訴後の二月一二日に被告人を診察した医師が同一人物であるか否か(佐藤院長は、二月一二日は他の医師が診察したもので、自分は一回しか被告人を診ていないとするのに対し、Dは、両日とも佐藤院長であったと明言したが、その後、佐藤証言との矛盾を指摘されて、沈黙したのち、右証言を佐藤証言と同旨に訂正している。)、その他の点において、顕著な対立を示している。

7  また、被告人は、甚だ口が重く、問われたことに対して、直ちに的確な応答ができるタイプの人物ではないとみられ、特に当夜は夫の腹部を文化包丁で突き刺すという重大犯罪を犯して、かなり動揺していたと考えられることなどからすると、その取調べ及び供述調書の作成が、それほど順調に進んだとは考え難いのに、B=D証言によると、わずか一時間五〇分の取調べにより、九丁に及ぶかなり詳細な供述調書が作成されたことになり、いささか不自然でないこともない(現に、当夜、参考人として事情を聴取された大越弘子は、かなりハキハキと応答できるタイプで、参考人しての立場であるのに、條野伸治警察官により七枚の供述調書を作成されるのに、午後九時ころから、翌二二日午前一時ころまで計約四時間かかった旨証言している。もっとも、右の点につき、條野は、取調べ時間は約二時間半であったとしているが、それでも、B=D証言による被告人の取調べ時間よりも長い。)。

8  このように、川口署警察官らの各証言が甚だ理解に苦しむものであることとの対比において、被告人が、このような点につき、ことさら虚偽の供述をしているとは、にわかに考え難いことからすると、Bらは、被告人の取調べが深更に及んだ事実を秘匿し、その健康状態に格別の配慮を払ったかのような外観を作出するため、佐藤病院で被告人の診察を受けさせた旨虚偽の証言をしている疑いも全く生じないではない。

9  しかしながら、川口署と比較的緊密な関係にあったとはいえ、純粋に民間の病院である佐藤病院の院長が、診療録や会計帳簿等に虚偽の記入をしてまで、警察官の証言に合わせた偽証をしていると断ずるのも、いささか躊躇される。

10  従って、当夜、被告人を佐藤病院へ連れていったとするBらの証言が虚偽ではないかとの合理的疑いが生じているとは、未だ認め難いので、現段階においては、単に、当夜の取調べ終了時刻が、佐藤院長の証言による被告人に対する診察時間からみて、BやDが証言する時刻よりかなり遅く、午前零時かそれを過ぎた時刻であったのではないかとの疑問を提起するに止め、右事実を前提として、供述調書の任意性を判断することとする。

三  1.21員面(B調書)の任意性について

1  右二認定の事実によると、一月二一日当夜、Bは、午後八時すぎころから、翌二二日午前零時か、それを少し過ぎた時刻までの約四時間にわたり、妊娠五か月の身重で、しかも当夜夫の腹部を文化包丁で刺すという重大犯罪を犯した被告人を、川口署の二階刑事一課の取調室で取調べ、殺意を否認する被告人に対し、「そんな筈はないだろう。」などと理詰めで迫り、殺意に関する被告人の自白を引き出し、その旨の供述調書に署名・指印させたものであるが、他方、右取調べに当たっては、黙秘権・弁護人選任権の告知に遺漏はなく、右に指摘した以上に不当な言動に及んだとは認められない。

2  そうすると、1.21員面は、その作成経過に照らし、信用性について慎重な検討が必要であることは言うを待たないにしても、その任意性に疑いがあるということにはならない(ただし、当夜、警察官らが、被告人を佐藤病院へ連れて行っていないのに、あたかも連れて行ったかのような外観を作出しようとして、佐藤院長ら病院関係者を巻き込んで偽証をしているということになれば、警察官らの証言の信用性は、根底から崩れざるを得ず、1.21員面の任意性についても、結論が左右される可能性がないとはいえない。右の点については、更に検察官及び弁護人からの詳細な意見を徴した上、最終的には、判決中において、当裁判所の見解を示すこととする。)。

四  C調書の作成状況及びその証拠能力について

1  C調書は、前記のとおり、連日の長時間にわたる取調べによって作成されたものであるが、まず、Cは、これらの供述調書に被告人の署名・指印を求める際、実務上通常行われているような読み聞かせの手続を一切行っていないことが明らかである。この点は、C自身が認めており、各調書末尾に「被疑者に読み聞かせた上」との記載がないことからも、明らかなところである。

2 Cは、これを被疑者に読み聞かせる代わりに、「閲覧」させて、そのとおり間違いない旨の確認を得た上、署名・指印させた旨証言し、各調書の末尾には、確かにその旨の記載がある。そして、刑訴法一九八条四項、五項によれば、供述調書への署名・指印の前提となる手続は、必ずしも読み聞かせに限られず、「閲覧」でもよいとされていることは事実である。

3 しかし、右調書への署名・指印は、被疑者が、供述調書に録取された内容を十分理解した上で、これに間違いがないことを確認した事実を客観的に担保するために行わせるものであり、右署名・指印の存否は、供述調書の証拠能力に決定的な影響を与えるものであるから、署名・指印の前提となる「読み聞かせ」又は「閲覧」は、これによって、被疑者が、当該供述調書の内容を理解し得るものでなければならない。

4 そして、「読み聞かせ」の場合は、被疑者が難聴者であるとか、日本語の理解が著しく劣る者など特別の場合以外は、右3記載の要件を通常充足すると考えてよいが、「閲覧」の場合は、被疑者の文章読解力との関係で問題を生ずることが少なくない。従って、実務においては、刑訴法の規定にかかわらず、閲覧による方法は、通常、読み聞かせただけでは理解し難い場合の補助的方法として用いられているにすぎず、読み聞かせを全くせずに閲覧のみで供述調書の署名・指印を求めるというようなことは明らかに適当でないとして行われていない。従って、そのような方法により被疑者の署名・指印を得た供述調書については、右署名・指印が、被疑者の供述を正確に録取したことの客観的担保となり得るか否かを慎重に判断する必要がある。

5 本件についてこれをみると、関係各証拠によれば、被告人の国語力は、小学校一年ないし三年までは「評定3ないし4」であったが、四年ないし六年までは、「評定2」に止まり、中学校進学後は、「評定1ないし2」であって、劣悪であることが明らかである。そして、被告人は、「平素、本を読むことは全くない。」旨供述しているが、右供述は、被告人の右のような国語力に照らし、信用性が高いと考えられる。

6 このように著しく読解力の劣る被告人がCの作成した、漢字がたくさん混じり、しかも癖のある字体で略字を多用する長文の供述調書を閲覧させられても、その内容を理解し得たとは到底思われない。被告人は、第四回公判期日において、検察官に1.22員面の冒頭部分を読むように求められ、その中から、判読可能な字を飛び飛びに拾いだして指摘しているが、右調書に用いられた文字、その字体に、被告人の前記のような国語力の評定からみると、右判定結果について被告人の作為が介入しているとは考え難く、また、右の程度の判読結果では、被告人が右調書の文脈とか、全体の意味内容を理解することは、到底不可能であったと認めざるを得ない。これに対し、Cは、被告人に供述調書を閲覧させた際、被告人に対してむずかしい文字や読めないだろうと思われる文字を教えているのであるから、被告人は供述調書の内容を十分理解していた旨証言している。しかし、後述のとおり被告人の取調べ状況に関するC証言は、全体としてその信用性が極めて乏しいと認められるのであり、右証言によっては、これと対立する被告人の「(供述調書の内容が)わからない。」と言うと、『これはこれでいいんだ』『読み終わったころに帰ってくる』と警察官に言われた。」との供述を排斥できないというべきである。

7 「閲覧」による被告人の理解度が右のとおりであるとすると、これを前提とする被告人の供述調書への署名・指印は、前記のような意味で、録取内容の正確性を担保する機能を全く果たしていないというべきであるから、右各調書は、形式的には、刑訴法三二二条所定の署名・指印の要件を充たすものとはいえても、実質的な意味では右要件を充足しておらず、署名・指印が存在しない調書と同視するのが相当である。従って、右各調書は、この点で証拠能力を欠くといわなければならない。

8 次に、右各調書の作成経過を、より実質的に検討してみるのに、被告人は、当公判廷において、Cに対し、殺意を否認すると、「殺すつもりがあった筈だ。」「包丁を買ってるし、刺して実際に死んでいるんで、殺す気がなくはないだろう。」「いつまで経っても取調べが終わらないぞ。」「早く子供を産みたいだろう。」などと言われ、「そのまま殺意を否認していると、いつまで経っても怒鳴られてばかりいて、調べが終わらない。」と観念して、捜査官の作文した調書に署名・指印してしまった旨、その間の経緯を具体的に説明しており、右説明は、初めて警察の取調べを体験した二一歳の女性、それも、知能程度がそれほど高くはなく、表現力にも乏しいと認められる女性(被告人)が、創作して供述し得るような類のものではないと考えられ、かなりの迫真力を感じさせるものである。

9 これに対し、Cは、そのような言辞を発したことはない旨強調するが、C証言には、被告人がその文章を自分で考えて書いたとは到底考え難い一月二四日付け上申書(「上しんしょ」と題する書面。その内容は極めて理路整然と要点を突いたものであり、その体裁も、警察官が通常作成する供述調書と酷似している。)を、被告人が全て自分で考えて書いたとしている点、しかも、これを下書きを含めても一〇分以内で書いた旨、被告人の国語力を前提としては常識上真実とは考え難い指摘をしている点、遅くとも一月二五日の時点では、被告人の中学校生徒指導要録を入手しており、その知能・言語能力が著しく劣ることを知った筈であるのに、一月三一日に至って、初めてその旨の被告人の供述を得て知ったとし、その重要部分が客観的証拠と抵触している点などに照らし、その信用性は全体として極めて低いというべきである。従って、右C証言をもってしては、取調べ状況に関する被告人の供述を排斥することはできない。

10 他方、被告人は、一月二二日以降、健康状態が良好でなかったとして、「夫Aのことが心配で、一月二一日夜はほとんど眠ることができず、前日来、食事らしい食事をとっていなかったが、翌二二日も朝食、昼食はほとんど又は余り食べることができなかった。その晩は、Aが死んだと聞かされて、ほとんど泣き明かしたので、眠っていない。Aが死んだと聞かされたあとは、もう何を言っても駄目だという心境に陥り、強く抵抗することもできなくなった。」などと供述する。被告人が、一月二一日来、満足な食事をとっていないことは同日の被告人の行動に関する供述に照らして明らかであり、同日夜以降、睡眠・食事が十分とれなかったという点も、川口署における取調べの状況や、被告人が二一日に夫Aの腹部を突き刺すという異常体験をした事実、しかも、その後、同人の死亡を聞かされて著しく感情が高ぶったと推察されることなどに照らし、首肯し得るところである。なお、2.4員面には、前夜被告人が夕食をもどしたり発熱をした事実を窺わせる記載があり、右記載は、逮捕・勾留後の被告人が、万全の健康状態ではなかったことを推測させるものというべきである。

11 右10認定のとおり、健康状態に不安のある妊娠五か月の女性を、連日長時間にわたり取り調べた上、前記8認定の不当な言動(これが脅迫に該ることは明白である。)で自白を迫ることは、法律上許された被疑者の取り調べの限度を逸脱しているといわざるを得ず、このような取調べによって得られた自白は、任意性に疑いがあるというべきである。

五 検面の任意性について

1 被告人は、検察官の取調べにおいては、黙秘権の告知や供述調書の読み聞かせを受けたと供述するが、他方、殺意を否認すると、「包丁も買ったし、実際に刺して死んでいるんだから殺すつもりがあったんだろう。」と言われ、何を言っても駄目だと諦めて調書に署名・指印した旨供述し、右供述と抵触する証拠は存在しない。

2 右被告人の供述に現れた程度の理詰めの追及は、通常、供述の信用性についてはともかく、任意性を疑わせるものではないと解されているが、本件のように、検察官の取調べが、任意性に疑いのある員面作成後に行われているときは、検察官において、警察官による違法な取調べの影響を排除するような措置を講じた等特段の事情が認められない限り、たとえ検察官自身の言動が、それだけでは供述の任意性を疑わせるものではないとしても、右取調べによって作成された検面の任意性には疑いが残るというべきである。

3 本件において、検察官は、右2指摘の意味において、供述の任意性を確保するための特段の措置を講じておらず、むしろ、前記1のような理詰めの尋問によって、任意性に疑いのある員面と同旨の供述を被告人から引き出そうとしたと認められるので、このような取調べによって作成された検面は、その任意性に疑いがあるといわなければならない。

六 結論

以上のとおりであって、検察官が証拠調べを請求した被告人の捜査官に対する供述調書計一三通(任意性に争いがあるもの)のうち、司法警察員に対する平成三年一月二一日付け供述調書に関する別紙弁護人不同意部分は、現段階において、一応その任意性に疑いはないものと認めて証拠として取り調べるが、その余の各供述調書中別紙弁護人不同意部分(全部不同意書証を含む)は、いずれもその任意性に疑いがあり(なお、右のうち、C調書については、実質的意味において、供述調書への「被疑者の署名・押印」の要件も欠ける。)、これを証拠として許容することができないので、右請求を却下することとする。

よって、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官木谷明 裁判官大島哲雄 裁判官藤田広美)

別紙被告人の捜査官に対する各供述調書中弁護人神山祐輔不同意部分<省略>

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